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淡路島グランデシア周辺情報

GFC淡路島から行ける!大河ドラマゆかりの地特集

大河ドラマで登場する歴史上の人物ゆかりの地は京都や関東が多いですが、大阪や兵庫にもあります。今回はGFC淡路島グランデシアから行ける、大河ドラマゆかりの地をご紹介していきます。

 

大阪編

大阪城~戦国最強最大の要塞


GFC淡路島グランデシアから車でおよそ1時間半の場所にある大阪城。大阪市中央部の上町台地の北の端に位置しています。400年以上前の戦国時代には、この台地のすぐ西側まで海が迫っていました。現在は関西国際空港へ向かう飛行機が、大阪城の上空をひっきりなしに飛び回っています。

もともとこの場所には石山本願寺がありました。石山本願寺というのは浄土真宗本願寺の拠点で、この場所に目をつけた織田信長との戦いは10年以上に及びました。記憶に新しい明智光秀が主人公の大河ドラマでも、なかなか攻められない光秀たちを叱り、自ら戦場に飛び出していく信長が描かれていました。


石山本願寺は地形的に攻めにくいこともありますが、それだけで10年以上も戦うことはできません。普通の軍隊、兵士たちは報酬のためや出世のために武功を上げようと戦うわけですが、本願寺の兵士は仏教という信仰のために戦うので命がけであり、死を覚悟した人間ほど強いものはないからです。


信長の死後、それまで姫路城を拠点にしていた豊臣秀吉はこの地に大阪城を建てました。天守閣へ行くまでに、いくつかの門をくぐり、どうやって運んだのか巨大な石がいくつも使われています。秀吉の時代には、この大手門を入ると表御殿という建物が並び、対面所で各地の大名を出迎えたといいます。


現在の天守閣は昭和のはじめに再建されたものです。歴代の大河ドラマで秀吉は何度も登場しており、大阪城も必ず登場します。


大阪城には秀吉の母・大政所、正室・北政所ねね、弟の秀長などの家族が住んでいました。のちに徳川家康に嫁いだ妹の朝日姫もいたと考えられます。秀吉の家族たちは天守閣のふもとの奥御殿という建物が複雑に並ぶ地区に暮らしていました。浅井3姉妹も大阪城に住んでいました。3人とも秀吉の養女という形になり、3女のお江は徳川秀忠へ、次女のお初は京極高次へ、そして最後に残った長女の茶々は秀吉の側室になりました。


秀吉には妻のねねとの間に子どもができませんでしたが、茶々との間に男の子ができました。はじめの子は幼くして病死しましたが、ふたり目が秀頼です。茶々は淀殿と呼ばれるようになり、秀吉の死後、後継者の母親として実質的な権力者になります。秀頼は徳川家康の孫、千姫と結婚します。千姫は徳川2代将軍秀忠と淀殿の妹お江との間に生まれた長女で、淀殿にとっては姪っ子にあたります。徳川家との関係を考えても、うれしい結婚だったことでしょう。7歳だった千姫は19歳まで大阪城で結婚生活を送ります。

しかし豊臣家と徳川家康との対立が続き、ついに大坂の陣で母子ともに果てました。大阪城落城の寸前、千姫だけが救出されました。大阪城拝観ルートから道を外れた場所に、自刃した最期の地としてひっそりと眠っています。


政略結婚とはいえ、秀頼と千姫は仲が良かったようです。生き残った千姫はその後徳川家の重臣、本多家の嫡男と恋愛結婚することになります。大阪城の敷地は今でも充分広いのですが、秀吉の時代にはこの何倍もあったというから驚くばかりです。


大阪城
住所:大阪府大阪市中央区大阪城1-1
電話:06-6941-3044
開城時間:9:00~17:00
入城料金:600円 ※各種割り引き等については、ホームページなどでご確認ください。
公式サイト:https://www.osakacastle.net/

豊国神社~秀吉を祀る


大阪城のすぐ南に、秀吉を祀った豊国神社があります。尾張の貧しい農家に生まれた秀吉でしたが、強運と戦いの才能に恵まれ、信長のもとで足軽から天下人になったため、出世開運の運気が集まっています。


秀吉を祀る豊国神社は畿内に数か所ありますが、栄華を極めたこの地に立つ秀吉は格別です。秀吉が生きていたら、難攻不落・最強最大の大阪城は徳川家康でも落とせなかったでしょう。


大阪城豊国神社
住所:大阪府大阪市中央区大阪城2-1
電話:06-6941-0229
拝観料:境内自由
公式サイト:https://www.osaka-hokokujinja.org/

真田丸跡地から三光神社~真田幸村の雄姿を偲ぶ


大坂の陣に出陣した真田幸村は、大阪城の南にあった砦を整備し、真田丸として布陣します。軍勢と物量に勝る徳川軍を少数で撃退し、家康を苦しめました。真田丸があった場所は、現在学校になっています。しかしこの周辺を歩いてみると、今でも坂が多く、なるほどこの辺りが真田丸の先端だったのか、と見当がつくくらいのわかりやすい地形が残っています。近くには、真田幸村ゆかりの神社があります。


この三光神社には、大坂城から真田丸まで通じていたという地下の抜け穴跡が今も残されています。

知性も武略も備えていた真田幸村。最後は自ら家康の首を狙って突撃し、あと少しのところまで追い詰めたといいます。たったひとりで大軍勢に突撃する真田の迫力はよほどのものだったらしく、徳川軍として戦っていた武将・島津忠恒がのちに、「日ノ本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と称えたことはよく知られています。

真田丸顕彰碑
住所:大阪府大阪市天王寺区餌差町5番
公式サイト:https://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/page/0000341391.html

三光神社
住所:大阪府大阪市天王寺区玉造本町14番90号
電話:06-6761-0372
拝観料:境内自由
公式サイト:https://www.sankoujinja.com/

太融寺~茶々のお墓に合掌


大阪城からやや西、ビルが建ち並ぶ梅田の繁華街の中にあるお寺です。1200年の歴史がある、弘法大師空海が開いた高野山真言宗の別格本山として親しまれています。大阪城で自刃した浅井3姉妹の長女・茶々の遺骨は当初大阪城の近くに埋葬されましたが、明治時代になって大規模な造成工事が進むにあたって、ここへ改葬されました。お墓は本堂の左手、奥まったところにひっそり残っています。


戦国時代が舞台の大河ドラマにはほとんど茶々、淀殿が登場します。歴代で茶々を演じた女優さんは、三田佳子さん、夏目雅子さん、宮沢りえさん、松たか子さん、二階堂ふみさんなど。いずれも大河ドラマにふさわしい豪華な顔ぶれです。

高野山真言宗準別格本山 太融寺
住所:大阪府大阪市北区太融寺町3-7
電話:06-6311-5480
拝観料:境内自由
公式サイト:https://taiyuji.net/

 

姫路編

姫路城~官兵衛から秀吉へ


姫路城は、GFC淡路島グランデシアから車で1時間強です。姫路城の城主だった小寺官兵衛、のちの黒田官兵衛は、はじめは豊臣秀吉と対立していましたが、早い段階で城を明け渡しました。秀吉は官兵衛を高く評価し、重要な参謀として引き立てていくことになります。


秀吉は官兵衛と共にこの姫路城を拠点にして、中国の毛利攻めを展開していきました。そこへ本能寺の変の一報が入り、あわてて毛利側と和睦を締結、3日で兵を京都へ戻した有名な「中国大返し」となるのですが、このあたり官兵衛の助言があったのは間違いないでしょう。「謀反の光秀を討てば、天下が手に・・・」と、大返しを可能にした道の整備や食料調達も官兵衛の用意があったかもしれません。秀吉や官兵衛は大阪城が完成するまでの数年間、姫路城を拠点にして賤ケ岳の戦いなどで勝利していきました。母やねねなど秀吉のファミリーもこの姫路城へ呼び、しばらく過ごしていたと思われます。


徳川の江戸時代がはじまり、池田輝政によって1609年に現在の姫路城が建てられました。すぐに病死した池田輝政に代わって城主になったのが、千姫と恋愛結婚した本多忠刻でした。ふたりには待望の男の子が生まれましたが、3歳で病死してしまいます。大阪城で自分だけ生き残った千姫は、自害した淀殿と秀頼の祟りだと深く悲しみました。それから毎日供養を続けた千姫でしたが、今度は夫の本多忠刻が31歳の若さで亡くなります。姫路城に10年いた千姫はその後江戸の片隅で尼僧となり、70歳まで生きました。姫路市は現在、千姫の大河ドラマ化を目指し、動き始めています。


壁の漆喰塗りだけではなく、屋根の瓦も漆喰で固定しているため、全体が白く美しく、別名“白鷺城”とも呼ばれています。世界的にも類のない美的完成度と日本独自の城郭の構造をよく示した姿であることから、1993年12月、奈良の法隆寺と共に、日本で初の世界文化遺産に選ばれました。


世界遺産 姫路城
住所:兵庫県姫路市本町68番地 (姫路城三の丸広場)
電話:079-285-1146(管理事務所)
開城時間:9:00~16:00(閉門は17:00)
休城日:12月29日・30日
入城料金:大人(18才以上)1000円 ※学生割引他、詳しくはホームページ等でご確認ください。
公式サイト:https://www.city.himeji.lg.jp/castle/

播磨の国総社~射楯兵主神社、官兵衛ゆかりの神社


播磨の国は、現在の神戸市西部から岡山県境あたりまで一帯をいいます。総社とはそのエリアの神様が集まる代表的な神社のことで、正式名は射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)です。黒田官兵衛が深く信仰したこの神社は姫路城のすぐ隣にあります。


歴代の播磨守護職・姫路城主の崇敬をうけてきた神社です。豊臣秀吉より大名として出陣のさいに軍旗を立てる許しを得た官兵衛は、この播磨の国総社で7日間にわたり軍旗の祈祷を行い、毎日参詣したといいます。さらにその後この総社の保護のために制札という、禁止事項や伝達事項を書いた立札を与えました。こちらのエピソードは、大河ドラマ末尾の紀行コーナーでも紹介されています。

播磨国総社 射楯兵主神社(はりまのくにそうしゃ いたてひょうずじんじゃ)
住所:兵庫県姫路市総社本町190
電話:079-224-1111(代表)
拝観料:境内自由
公式サイト:https://www.sohsha.jp/

 

まとめ

今回は大河ドラマの中でもメインの時代設定になる戦国時代を主軸に、GFC淡路島グランデシアから行ける大河ドラマゆかりの地を紹介してきました。ドラマで見た土地を訪れて、人物に思いをめぐらせ、歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

この記事を書いた人
かのまお
放浪ライター。年の半分は福井や滋賀など関西~北陸を中心に放浪しています。尊敬する人は山下清。小説も出版してます。

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