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湯の山スパシア周辺情報

【2023年大河ドラマで話題】徳川家康・隠れゆかりの地めぐり

現在放送中の大河ドラマもいよいよ佳境に差し掛かってきました。
来年、2023年のNHK大河ドラマは徳川家康、いうまでもなく戦国時代を終わらせ江戸時代の平和をスタートさせた偉人です。既に話題の家康公ですが、GFCの施設から行けるゆかりの地をご紹介していきます。

 

GFC湯の山スパシアから行ける、徳川家康ゆかりの地

名古屋城~家康が総力をあげて造らせた巨大城

GFC湯の山スパシアは三重県ですが、県境を越えて愛知県へは近い位置にあります。新名神高速から東名阪道へ入って、名古屋城まで車で約45分です。

1600年、天下分け目の関ケ原の戦いに勝利した家康は、江戸に幕府を開きます。そして1609年、豊臣秀頼と淀殿がいる大阪城の動向を監視する前線基地として、この名古屋に城を建てました。この築城は熊本城の加藤清正をはじめ、広島城の福島正則、姫路城の池田輝政など築城オールスターのようなメンバーで進みました。

 

しかし、1945年、太平洋戦争の空襲で焼け落ちてしまいました。現在の天守閣は1959年にコンクリートで建て替えられたものです。とはいえ、まわりの石垣やお堀はほぼ当時のまま残されています。
とにかく敷地が広い名古屋城はぐるっと1周するのに小1時間はかかります。隣接する名城公園も広く、多彩な植物で目を保養してくれます。

 

お堀の巾(はば)は50メートルはあり、複雑に折れ曲がり入り組んでいるため、見ていて飽きないので、散歩コースには絶好です。

 

2013年には本丸御殿が復元再建されました。
将軍が上洛する際の宿場として建てられ、記録によれば2代秀忠、3代家光、14代家茂が宿泊しています。家康本人は目にしていませんが、とにかく絢爛豪華ですべてが金ぴかに輝いています。柱、天井、欄間(らんま)、襖、金具ひとつひとつに至るまで職人の技術、手間、そしてお金がかけられています。
お城の周辺には「金シャチ横丁」という飲食店ストリートが2箇所あります。

並んでいるお店は、ほとんどが「名古屋めし」です。
味噌煮込みうどん、みそかつ、名古屋コーチン、台湾混ぜそば、ひつまぶし、あんかけスパゲッティなど。
名古屋城と言えば金のしゃちほこですが、実際に屋根に乗っているしゃちほこは高すぎてよくわかりません。
お土産屋さんには縮小スケールのレプリカが展示されています。

 

名古屋城
住所:愛知県名古屋市中区本丸1-1
電話番号:052-231-1700
営業時間:9:00~16:30(本信雄丸御殿への入場は16:00まで)
料金:大人500円 ※中学生以下無料
駐車場:普通車・駐車場有り 有料30分ごとに180円
アクセス:地下鉄名城線「市役所」駅下車。7番出口より徒歩5分
公式サイト:https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

※新型コロナウイルス感染症の影響により、掲載内容は変更となる場合があります。最新の情報は、公式サイト等にてご確認ください。

小牧山城~秀吉との直接対決

小牧市にある小牧山城は、GFC湯の山スパシアから車で約1時間、名古屋城からは20分ほどです。
1584年、豊臣秀吉と徳川家康との間で起こった、小牧長久手の戦いですが、その際に徳川家康が本陣を置いたのがここ小牧山城です。

 

小牧山は濃尾平野の真ん中にポツンとここだけ小さな山になっている、珍しい地形です。
もともとは織田信長がここに城を建てました。信長が住んでいたふもとの居館跡は、現在散歩コースの原っぱになっています。

その織田家の城に家康が入ったのは、見通しがよく戦いやすいだけでなく、信長の次男・信雄が徳川方についていたからです。本能寺の変で信長と長男信忠を討った明智光秀でしたが、光秀を討ち自分が天下人になろうとした秀吉に、信雄は抵抗していました。
小牧長久手の戦いは膠着状態のまま9か月間続きます。家康は40代のころです。
しかし、秀吉の巧みな陽動作戦に信雄は翻弄され、勝手に和平を結んでしまいます。
戦いの結果としては、引き分けです。

現在の小牧山付近には市役所や図書館、ショッピングセンターがあります。
小牧山の各方面から登り口があります。高い山ではないので、階段中心のコースなら10分程度、スロープ中心のコースでも20分あれば頂上の天守まで行けます。

小牧山は何年も発掘調査が続いており、今もあちこちに石垣の跡や土塁の復元が進んでいます。

小牧山城は、原始時代から近代までの歴史と文化を伝える小牧市歴史館と、一体になっています。現在の小牧城は昭和42年に建てられたコンクリート造りです。

小牧山のふもとには、最近の発掘調査で明らかとなった織田信長が築いた時代の石垣や城下町、小牧長久手の戦いの模様なども含めた小牧山を取り巻く歴史を、模型や映像を使って紹介する展示している、「れきしるこまき」を見学できます。

史跡・小牧山城
住所:愛知県小牧市堀の内1-1(小牧山城および小牧市歴史館)、小牧市堀の内1-2(れきしるこまき)
電話番号:小牧市歴史館/0568-72-0712、れきしるこまき/0568-48-4646
営業時間:小牧市歴史館/9:00~16:30(有料エリアへの入場は16:15まで)、れきしるこまき/9:00~17:00〈常設展示室(有料エリア)への入場は16:30まで〉
定休日:第3木曜日(祝日の場合は翌平日)
料金:小牧市歴史館・れきしるこまき(常設展示室)【大人】一般 100円、団体(30人以上) 60円【中学生以下】無料
※ どちらかの入場料で「小牧市歴史館」または「れきしるこまき」への入場もできます。
駐車場:あり、最初の2時間無料・以降30分100円
参考サイト:https://www.aichi-now.jp/spots/detail/24/

 

GFC奥琵琶湖レイクシアから行ける、徳川家康ゆかりの地

京都市街地の徳川家康ゆかりの地を紹介します。GFC奥琵琶湖レイクシアから京都市街地へは車でおよそ1時間から1時間30分、信号が少ない湖西道路を南下します。

二条城~徳川家康が建て、現在は世界遺産に


二条城といえば、徳川最後の将軍・慶喜が政権を朝廷に返上する大政奉還が行われた場所としてあまりにも有名です。
今から400年以上前の1600年、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が、江戸幕府将軍が京都滞在時の拠点とするとともに天皇の住む京都御所の守護場所として築城した城です。

入場は堀川通に面した東大手門からです。全国から修学旅行生が集まる場所でもあり、観光バスが行き来して、平日でも混雑します。

門を入って左へ歩いていくと、唐門が見えてきます。4本の控え柱があることで四脚門と呼ばれるタイプですが、本柱を入れると計6本です。檜皮葺きの屋根、数えきれない金箔の飾り金具、細かい彫刻。徳川の財力が示されています。もし今これを作るとすれば、どのくらいの費用がかかるかというと・・・新築住宅が10軒は建ってしまうでしょう。

この門を入っていくと、二の丸御殿です。
内部は撮影禁止ですが、とにかく複雑で長い廊下を歩き回り、大政奉還が行われたという大広間へ。

虎や豹、松の木、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画がふすまに描かれています。69歳の徳川家康と17歳の豊臣秀頼が顔を合わせた「二条城会見」もここで行われました。
そして、二の丸庭園へ。

本丸御殿は、2022年10月現在改修工事中です。

本丸庭園は、枯山水式です。

お城としての天守閣は、落雷で焼けてしまい現在は残っていませんが、石垣の上からでも眺めはいいです。

 

二の丸と本丸以外にも清流園という庭園があります。

ここの庭園を眺めながら休憩できるお茶屋さんでは、その名も「家康」という限定パフェがいただけるようです。

 

 

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世界遺産 元離宮二条城
住所:京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
電話番号:075-841-0096
開城時間:8:45~16:00(閉城17:00)
休城日:12月29日~31日
二の丸御殿観覧休止日 毎年1月・7月・8月・12月の毎週火曜日、12月26日~28日,1月1日~3日
料金:一般 1,300円※団体、学生割引あり
公式サイト:https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/

 

知恩院 ~家康が整備した信仰の地

知恩院は法然上人が開いた浄土宗の総本山です。徳川家康は浄土宗の信仰に厚く、母親の於代の方をここへ葬り、徳川家の菩提寺としました。徳川将軍代々の墓地がある、東京芝の増上寺も浄土宗です。
徳川家康は知恩院を手厚く保護し、伽藍の整備などを進めました。
知恩院の入り口でまず驚かされるのが、巨大な三解脱門、いわゆる三門です。

実物を前にしてみると、写真で見たイメージや実際の寸法よりはるかに大きく感じます。門としては東大寺の南大門と並ぶ世界最大級の国宝です。
門を抜けると有名な女坂と男坂があり、階段を登ります。

そして、御影堂です。これも巨大で、カメラにおさめるため広い敷地いっぱいに下がってもギリギリ入らないくらいです。少し斜めにしないと画角に収まりません。もちろん国宝です。

堂内は浄土系寺院特有の、ゴールド空間です。西方浄土を表す金の輝きで本尊の法然上人の御影が見えないくらいです。
向かって左側の脇壇には、通常非公開の徳川家康像が御厨子の中に収まっています。
御影堂の横には、阿弥陀堂があります。阿弥陀さまが祀られており、御影堂より一回り小さい建物ですが、仏さまがいらっしゃる以上、実はこちらが本堂です。

徳川家康は自分の浄土宗への信仰からこの本山を整備し、同時に二条城と並んで京都での拠点としました。

浄土宗総本山 知恩院
住所:京都府京都市東山区林下町400
電話番号:075-531-2111
開門時間:5:30~16:00 ※各所受付は9:00~
料金:境内自由、庭園拝観は有料
駐車場:なし ※周辺のコインパーキングをご利用ください。
公式サイト:https://www.chion-in.or.jp/

 

関ケ原古戦場~天下を決めた戦い


関ケ原は岐阜県と滋賀県の県境にあります。GFC奥琵琶湖レイクシアからは、木ノ本インターから高速に乗っておよそ1時間で行けます。

関ケ原で400年前に行われた東軍徳川家康と西軍石田三成の戦いで勝利した家康は、実質的な天下人となり、江戸に幕府を開くことになります。両軍合わせて15万以上ともいわれる大合戦でした。
戦場となった一帯は広域に広がっていて、徳川家康の他各武将の陣跡に幟(のぼり)が立てられています。

合戦の様子を展示、解説する施設なども複数あり、史跡ガイドによる案内のツアーサービスもあります。中心となる施設が、「関ケ原古戦場記念館」です。

関ケ原の戦いは単にこの関ケ原で大軍がぶつかったというだけではなく、各地で付随した戦いが起こっていました。たとえば信州上田城では真田軍が徳川秀忠率いる徳川本隊を引き付け、手間取った秀忠は関ケ原に間に合いませんでした。つまり、家康の東軍はメインの軍隊を欠いた状態だったのです。
そして西軍も、メインと言っていい軍隊の到着を待たずに形勢が不利になり、小早川秀秋などの裏切りもあって負けることになるわけですが、その西軍を足止めしたのが「大津城の戦い」でした。

岐阜関ケ原古戦場記念館
住所:岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
電話番号:0584-47-6070
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、12/29~1/3
料金:一般 500円 ※企画展開催時などは料金が変動します。※団体・学生割引あり
駐車場:あり、無料
公式サイト:https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/

 

大津城の戦い~戦国一のラッキー男に助けられた家康

大津城の戦いは、滋賀県の大津市にあった大津城が舞台でした。GFC奥琵琶湖レイクシアからは車でおよそ1時間です。
関ケ原の戦いの前、京都からの帰りに大津を通った家康は、当時の城主・京極高次と面会します。古くなった大津城を見て、何かピンと来たのかもしれません。大津城は、現在は城跡になっています。

京極高次はさほど知られていない武将ですが、実は幸運の持ち主で、この時の家康の訪問がなければ関ケ原はどうなっていたかわからず、その後の江戸幕府もなかったかもしれないというターニングポイントです。
京極高次の幸運エピソードは数多く、たとえば明智光秀に味方して豊臣秀吉の怒りを買い、処刑確実になったのですが、たまたま姉の京極竜子が秀吉お気に入りの側室になったため許されたり、戦功は大きくなかったのですが親戚だった浅井3姉妹の初と結婚したため初の姉・淀殿が秀頼を生んだことでご祝儀で城持ちになれたり、非常に運に恵まれている人物といえます。

もともと西軍だった京極高次ですが、家康は「城の傷んだところを修理する足しに」と言って大金を出しました。そして「もしもの時はこの大津城で敵を食い止めてほしい」と頼んだのです。これが家康と京極高次の運命を左右します。大金を手にした京極高次は東軍へ寝返り、関ケ原へ向かう西軍の毛利&立花軍計1万5千の大軍を相手にわずか3千の軍で大津城籠城戦に臨みます。籠城といっても大津城は防御に弱い平城です。

しかも立花宗茂は大砲まで持っていて、近くの三井寺からそれを打ち込み、たちまち大津城は壊滅状態にされます。ところが意地を見せた京極高次はなかなか降伏せず、結局1週間ねばり、残るは天守閣の最上階だけとなってようやく投降した日が1600年9月15日、つまり関ケ原合戦の当日だったのです。もちろん毛利&立花の大軍は間に合いません。
大津城の本丸があった場所は現在の浜大津駅の周辺でした。

湖畔が100メートルほど埋め立てられる前、湖上に建っていたと考えられています。現在は琵琶湖クルーズの客船が出入りする大津港の公園になっています。

家康が大津城へ寄らなかったら、あるいは京極高次が意地を見せなかったら、歴史は大きく変わっていたでしょう。
残った大津城の天守は「縁起がいい」ということでその後彦根城へ移築され、現在は国宝になっています。

大津城跡
住所:滋賀県大津市浜大津5丁目2-29
電話番号:077-522-3830(大津駅観光案内所)
料金:無料、入場自由
駐車場:なし ※周辺のコインパーキングをご利用ください。
参考サイト:https://www.shirofan.com/shiro/kinki/ootsu/ootsu.html

 

まとめ

最後に天下を取った徳川家康の最大の武器は「辛抱強さ」といえます。「長生き」といってもいいでしょう。家康には信長のような天才的カリスマ性もなく、秀吉のような賢い戦略もありませんが、鳴くまで待とうホトトギスという通り、適切なタイミングまで辛抱するという能力があり、健康管理によって当時としては驚異的な75歳まで生きました。

徳川家康ゆかりの地は関東静岡や三河エリアが中心ですが、GFCから行ける場所も多くあります。ぜひ立ち寄ってみてください。

この記事を書いた人
かのまお
放浪ライター。年の半分は福井や滋賀など関西~北陸を中心に放浪しています。尊敬する人は山下清。小説も出版してます。

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