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奥琵琶湖レイクシア周辺情報

【明智光秀編】GFC奥琵琶湖から行ける、大河ドラマゆかりの地

GFC奥琵琶湖から、歴史ロマンあふれる大河ドラマゆかりの地へ。3回に渡りお送りしてきた本シリーズのラストを飾るのは、知略にたけた名将・明智光秀

明智光秀は戦国武将にしては教養が高く、仏教に信心深い人でした。大河ドラマでは信長に命令されて比叡山を焼き討ちしますが、大いに葛藤する姿が描かれていました。

今回は光秀の城があった湖南エリア、大津の坂本とお墓があるお寺を訪ねます。

 

明智光秀ゆかりのお寺

比叡山のふもと、坂本地区へ

近江八幡から大津市へは、車で45分くらいです。高速で大津まで行ってもいいのですが、大津市北部の坂本地区までは琵琶湖大橋で渡った方が近いです。

鉄道では、JRですといったん京都の山科まで行ってから湖西線に乗り換えることになるため、大津の手前の石山駅か膳所駅で京阪電車に乗り換え、路面電車で終点の坂本比叡山口駅へ向かうのがおススメです。

比叡山延暦寺の門前町として発展した坂本には、開祖・伝教大師最澄が生まれた生源寺や近江神宮、日吉大社などのパワースポットが集中しています。

天台真盛宗本山、西教寺

西教寺は、天台宗系の本山のひとつです。織田信長が比叡山を焼き討ちにした際、ここも焼失しましたが、明智光秀が復興しました。この門は明智光秀の居城だった坂本城から移築したものと伝わります。

長い参道を登っていくと、大きな本堂があります。江戸時代中期に建てられた、国の重要文化財です。ご本尊は、平安時代の阿弥陀如来です。丈六といわれる、1丈六尺つまり5メートル近い大きな仏さまで、こちらも重要文化財です。

ここにも飛び出し坊やがいるところが滋賀らしいです。本堂の横には明智光秀一族と妻・熙子さんのお墓があります。光秀は愛妻家で、武将にしては珍しく側室を作りませんでした。女の子が3人できましたが、三女は細川家へお嫁に行き、のちに細川ガラシャとなりました。

客殿の内部には近江出身の作庭家・小堀遠州の庭が残っています。

明智光秀公資料室には、西教寺に宛てた直筆の書状が展示されています。ここの資料をじっくり見ていると、本能寺で主君の信長を討った理由がなんとなくわかる気がしてきます。

宗祖大師殿の前には唐門があります。全体のサイズと檜皮葺きの唐破風、入母屋のバランスがよく、装飾も派手すぎない、品のある建物です。この門の中に、麒麟がいますので、探してみてください。ここからは琵琶湖の風景が美しく眺められます。

◆天台真盛宗総本山西教寺
住所:〒520-0113 滋賀県大津市坂本5丁目13-1
電話番号:077-578-0013
公式サイト:http://saikyoji.org/

 

まとめ

戦のない世を求めた明智光秀は豊臣秀吉に討たれ、その意志は秀吉から徳川へと受け継がれていきました。琵琶湖がある滋賀県はことごとくそれらの歴史の舞台になり、幸いにも私たちはその遺構を通じて当時を想像することができます。

織田信長は琵琶湖を一望できる安土に住み、明智光秀も坂本城に住みました。実は豊臣秀吉も天下人になってからよく坂本へ来て、ひとりでずっと琵琶湖を眺めていたといいます。皆様もGFC奥琵琶湖レイクシアにご宿泊の際には、琵琶湖を一周しながら、天下人気分で大河ドラマゆかりの地を巡ってみてください。

この記事を書いた人
かのまお
放浪ライター。年の半分は福井や滋賀など関西~北陸を中心に放浪しています。尊敬する人は山下清。小説も出版してます。

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